『・・・略・・・あなたには人より優れた鋭く豊かな感性が備わっています。同時にそれに裏付けされたなかなかの文才の持ち主でもあります。これは持って生まれた才能で少々の努力で得られるものではありません。・・・略・・・その才能を活かす方法を考えて・・・略・・・』
この手紙の事を書きたかったが、この文面で分かるように全くもって”手前味噌”な話である。つまり、全くもって普通の日本人である私は”気おくれ”するのだ。
が、今年はこの手紙無くして語れない。
これは34年間お付き合いしている我が恩師が私に送ってくれた手紙の一部だ。私のブログを読んでくれてる人には何度か登場している恩師G先生のことである。
神戸在住の先生は早春の風物詩である手作りの”いかなごのくぎ煮”を毎年送ってくださる。そして、そのお礼を短い手紙を添えて私が送る。そして、その短い手紙の文面を拾ってくださる。(けっして微妙な心の動きを見逃さない鋭さを持っていらっしゃる・・感謝・・)
そうして、毎年、この時に先生から恐ろしく長い手紙を頂く。
時世の動き、嘆き、それを受けての先生自身の考え・行動、モノを見る価値観、生活の中の機微、TVの話題を受けて、思い出話etc。
この手紙の返事はいつも返せない。不義理な奴だと思わないで。返さないのじゃない、返せないのだ。テーマが深く重くて、私のこの頭では軽すぎるのだ。つまり、自分の反応ではちゃちだと思い込んでいる。
が、今年の手紙は違った。
今年の手紙は私への、34年間見てきた先生なりのダイレクトな見方だった。(褒めすぎではないか?と思った。が、『けっしてお世辞ではなく・・』と続く)
読み終えた瞬間の心の状態を今も覚えている。
心の中が幸せと喜びと優しさの粒子であふれる・・と言えばいいのだろうか。生きる喜びイッパイ状態ってきっとこの状態なんだ、と思った。
今年の初めは、私はまだまだ頭でっかちな人間で、なりたい自分と実際の自分のギャップでフラフラだった。(今はなりたい自分・実際の自分の境目もクソもなく、あるがまま?になりつつ・・)
そのときに、この手紙は神様からの贈り物のように心に響き、希望をくれた。心が疲れたとき、お守りのように胸に抱きしめ、一言一句読んでいる。
今年、何度この手紙に助けられただろう。本当に何度も何度も。
で、この返事書いたか~、って?
そうです。書けないのですよ。書かないんじゃなくて、書けない。どんな言葉を使ってもちゃちに思ってしまって・・。
先生ごめんなさい。
*写真は今年とってもお世話になったもの。PC、コーヒー、日記帳、書物(特に田村書店の)、そしてこの手紙。