あるようでないもの・・・心の傷、心の闇
ないようであるもの・・・亡くなった人の想い、魂、愛
こう定義する事から、大阪教育大付属池田小学校の殺傷事件の被害者である小学生を立ち直らせた、菅井先生のこと。
先生はさらに、自然の中へ子どもたちを連れて行く。何度も連れ出す。
「外に出たがらない子どもを無理やり連れ出すのはどうか・・」と批判を受けながら。
先生はこだわっていた。自然の偉大さ、崇高さ。全ては自然の賜物であること、人間は自然の前ではただのチッポケな一部分である事、死もまた自然の営みの一部にすぎぬ事、etc・・。
心の闇をぐっと握ったまま、その闇を離さない(離せない)子どもたちの手に光を当て開かせようとした。
怖くて怖くてぎゅっと握りしめてしまう、不安で不安で強く握りしめてしまう。(彼女達に限った事ではない。心の病気に苦しんでいる人たちのほとんどはこんな状態だ。)
握りしめた闇に光を当てると闇は消えていく、と先生はおっしゃる。結局、闇などどこにもないのだ。自分が勝手にいだいた妄想なのだ。そのことに気づくまで、自然の中で、目に見えないけど確かにある空気や風を感じさせ、死んでいった先生や友達の想いや魂や愛を感じていく・・。想いや魂や愛は死なないと。
半日ご一緒しただけなのに、まるでずっと前から知り合いだったような気さくさと大らかさに圧倒されてしまった。
子どものように自然を語り、ずっと笑っていらっしゃる。どんなバカな質問にも真摯に答えてくださる。
私が提案した『MOTTAINI』メンタル・プロジェクトを先生に報告するときに「自然のこと何も語る資格がないんですが、先生の教えを頂き”自然の中へ”という項目を入れました」と言うと
「自然を語る資格のない人など、どこにもいませんよ。自然は全ての命の本源ですから」とおっしゃった。
自然が、言葉を発するために人間の姿をしているんじゃないかと、錯覚してしまった・・。
華奢な身体で、笑顔いっぱい、命いっぱい輝いている人。
今年、この人に出会うためにあったのだろうか・・と思うほど感謝であふれている。
菅井先生ありがとうございます。
*先生は池田小学校の子どもたちを立ち直らせ、現在、ノートルダム女子大の教授です。